今日からはしばらく、私の研修医時代の話を紹介したいと思います。私は香川医科大学を平成5年(1993年)に卒業し、新倉敷で開業している父の方針に従って岡山大学麻酔科蘇生科に入局しました。父は整形外科医で息子の私に麻酔と救急担当・ICUを担当させたかったようです。そんな私が今は研究者になっているのですから、人生はわからないものですね笑
私は香川医科大学の医学生時代に薬理学教室で動物実験に集中した時期があり、英文原著を発表させていただきました。そのような経験もありましたので、研修が終わった後は香川に戻り、大学院生として学生時代の基礎研究を続け、できれば大学院の途中から海外留学もしたいという夢を持っておりました。父も「それくらいは許す」と言ってくれていましたので、通常よりも短期間で実力をつけ、その後、しばらく研究に集中しようと考えておりました。そして入局してみると、その年の14名の新入局者がほとんどが岡大出身者だったので、(偏差値の低い)香川医大出身の私は人一倍努力する必要があると感じ、次の3つを実行することを誓いました(すぐに努力目標に変わりましたが苦笑)。
① 誰よりも早く来て、誰よりも遅く帰ること(飲みに行くことも多々ありました)
② 一度注意されたことは二度とされないこと(もちろん、同じことで叱られたことも)
③ 患者さんにいいと思うことは何でもすること(保険の効かない治療を試みて、よくICU婦長さんに叱られました)
私のオーベンだった金城先生は「医者は1年目に頑張れるか頑張れないかで、その後の価値が決まる」と最初に私に言われましたが、今から考えると私は劣等感もあってとにかく毎日がむしゃらだったように思います。なるべく難しいオペにつけてもらえるように前日に担当を決める時間には医局長に擦り寄って行ったり、なるべくICUの当直を増やしてもらえるように同僚と交渉したり、そんな生意気な研修医でした。ICU当直で研修医が指示を出せるのは上司がみんな寝てからしかなかったので、夜2〜6時は私にとってはゴールデンタイム、いつも人工呼吸器を操作してweaning(離脱設定)をこの時間にやっていました(時岡先生、他先生方、度々ご迷惑をお掛けしました!)。ただ、学生勧誘の飲み会もなるべく参加していて、飲んだ後は必ずオペ室で朝まで寝るという習慣がついていました。1週間のスケジュールが、月曜から当直、飲み、当直、当直、飲み、日当直(土日)という毎日でした。
そんな必死の1年があっという間に過ぎ、医局ルールで外の病院で研修することになりました。もっと大学で最新の治療を学びたかったのですが、岡山大学の大学院生以外はくじ引きで外病院勤務とのこと。私は「大学院は香川に戻って」と決めていましたのでくじを引き、その結果、次の研修先は国立岩国病院に決まりました。その時のくじを引いた同僚の哀れみの目が今でも忘れられません。国立岩国病院はものすごい田舎にあり、しかも野戦病院として知られていたからです。女医さんがここの勤務が決まり、前日に新岩国駅からタクシーに乗って病院に行くまでにホームシックとなり、Uターンして医局を辞めたなんて都市伝説も聞きました。

明日からは、国立岩国病院での私の研修医2年目を振り返ってみたいと思います。
写真:高松の夕焼けワンシーン(ブログ記事とは関係ありません)
毎日ここを犬の散歩するようなスローライフもいいなあと思うような年齢になってきました苦笑
PS. 香大医LINEグループを作ったことにつきましては先日紹介させていただいております。
https://nishiyama-akira.hatenablog.jp/entry/2024/06/03/092548
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