生まれ変わる香大医とともに:医学部長ブログ

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香川大学医学部・名誉教授 安部陽一先生を偲んで

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香川大学をご退官後、オリーブ高松メディカル・クリニックにてご勤務されておられるお姿

 

去る5月9日の夜、香川大学医学部名誉教授・安部陽一先生がご逝去されました。訃報に接し、教職員・関係者一同、深い悲しみに包まれております。ここに謹んで哀悼の意を表し、安部先生を偲びたいと存じます。

安部先生は昭和16年1月23日に大阪府に生まれ、昭和40年3月に大阪市立大学医学部を卒業後、昭和41年4月より大阪市立大学大学院医学研究科博士課程に入学されました。昭和43年より米国エモリー大学医学部薬理学教室に研究員として留学したのち、ご帰国後に大阪市立大学医学部薬理学講座の助教授、そして香川医科大学の創設時の昭和56年4月より香川医科大学薬理学講座に初代教授としてご就任されました。腎臓・高血圧の研究分野において多くの学生や研究者を育成され、香川大学医学部の礎を築かれた先生のご功績は誠に大きなものであります。また、多数の論文を国内外で発表され、世界的にも高く評価された研究者で令和2年には瑞宝中綬章を受章されておられます。

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香川医科大学・第一期生の卒業写真集より

 

私自身も学生時代から安部先生に温かくご指導いただきました。学生実習では研究の基本だけでなく、人としての在り方まで教えてくださったことを今でも鮮明に覚えております。私は卒業後は臨床医として岡山大学病院や国立岩国病院で経験を積みましたが、再び研究の道に戻る決意をしたのは、安部先生の導きがあったからに他なりません。大学院進学後は腎臓機能の調節機構に関する研究テーマを託していただき、さらにはアメリカ・ニューオーリンズにあるNavar教授の研究室での留学の機会までご支援くださいました。帰国後は臨床医としての道に戻るつもりでおりましたが、安部先生から「もう少し若い人の育成を手伝ってほしい」とお声がけをいただきました。悩んだ末に教育と研究の道を歩む決心をいたしましたが、それがなければ今の私はありませんでした。その後、先生のご退官に伴い薬理学教室を引き継ぐことになり、現在に至るまで歩んでまいりました。安部先生は、私の人生における重要な転機をいくつも与えてくださった恩師であり、心から感謝申し上げます。

ご退官後も、毎年、薬理学教室の同門会に元気なお姿でご出席くださり、笑顔で昔話を語ってくださる姿がとても印象的でした。教え子たちにも温かい言葉をかけてくださり、その存在はいつまでも私たちの心の支えでした。数年前より体調を崩されてご静養されていましたが、教室の仲間数人で時折食事会を開き、和やかな時間をご一緒させていただいておりました。

 

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香川大学をご退官される前の卒業写真集のお写真

 

数日前にご体調がすぐれず本学附属病院に入院されましたので、お亡くなりになる前日にお見舞いに伺いました。「早く良くなってくださいね」とお声がけしましたところ、「そやなあ、早よう良うなって西山とビール飲みに行かなあかんな〜」と笑顔でおっしゃってくださいました。私はその言葉に安堵しつつ病室を後にしましたが、それが安部先生から私にいただいた最後のお言葉となりました。翌日の夜に容体が急変され、そのままご逝去されました。あまりにも突然のことで、今もなお信じがたい思いでおります。

香川大学医学部における安部先生のご貢献は、はかり知れません。薬理学分野における教育と研究の基盤を築かれ、多くの優れた医師・研究者を社会に送り出してくださいました。今日の香川大学医学部の発展があるのも、まさに安部先生の多大なるご尽力の賜物です。そして私にとっては、かけがえのない人生の師であり、道を照らしてくださった方でした。先生がいてくださったからこそ、今の私があるのだと深く実感しております。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

天上においても、きっと優しいまなざしで香川大学医学部を見守ってくださっていると信じております。私も先生に「よう頑張っとるな」と言っていただけるよう、これからも全力で香川大学医学部の発展に尽力してまいります。

先生、本当にありがとうございました。


P.S.
ご葬儀等につきましては、ご本人のご遺志により、ご案内は差し控えさせていただいておりました。何卒ご理解賜りますよう、お願い申し上げます。