生まれ変わる香大医とともに:医学部長ブログ

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私のルーツと台湾について(その②)

前回は、私の母方のひいお爺さんである濱武元次が、台湾で学校教育に力を尽くしたことを紹介しました。今日は、その三女、つまり私の祖母である濱武蓉子のことを少し書かせていただこうと思います。祖母の蓉子は1916年三歳の時(まだ大正時代です!)に台湾へ渡り、そこで青春時代を過ごしました。記録によりますと、絵を学んで美術のコンテストで多くの賞を受けたようで、その頃の作品や受賞の様子が、台湾の近代美術アーカイブサイト「名單之後:臺灣近代美術檔案庫」に記録が残されておりました(https://taifuten.com/story/【名單之後】百花綻放的少女時代──濱武蓉子筆/)。何でも、蓉子は第一回台展に入選し、最年少の入選者として、『台湾日日新報』に取材を受けたそうです。以下は、名單之後:臺灣近代美術檔案庫から抜粋した部分を日本語訳したものです。記事によりますと、「濱武蓉子は僅か13歳で第一回台展に入選したことから、第二回台展が行われる前に記者が濱武蓉子のアトリエを訪れたが、濱武蓉子がパレットを持って、プロの画家の様に見えた。」とのことです。当時としては、相当変わった女学生だったのでしょうね。

 

写真:濱武蓉子と第二回台展に入選した作品「ダリア」(台湾日日新報データベースより)

しかし、私は祖母が絵を描いている姿を見た記憶はありません。ただ、どこか芸術を愛し、上品で華やかな雰囲気を持っていたことはよく覚えています。きっと、そのような感性は台湾で過ごした若い日々や、絵に親しんだ経験から育まれたものだったのでしょう(私にもそのような感性が少しでも遺伝すれば良かったのですが、、、)。

写真:臺灣神宮での結婚式、前列の左から濱武元次、中瀨拙夫、三上芳雄、濱武蓉子

蓉子は1933年に台北女子高等学院を卒業し、1935年に私の祖父の三上芳雄と結婚しました。芳雄は幼少期に養子に出され、台湾総督府理事官三上信人の息子として育てられ、熊本医科大学を卒業し、法医学の医師となりました。蓉子と芳雄は台湾神宮で結婚式を挙げ、台北の鐵道ホテルで披露宴を行ったと記録に残っています。その後、蓉子は二十年近く過ごした台湾を離れ、熊本へ移りました。私は、祖母が「熊本で最初にパーマをあてたのは私なのよ」と話していたことをよく思い出しますが、真偽はともかく、祖母らしい、少し誇らしげで明るい言葉でした。なお、父親の濱武元次も1937年に退官して熊本に移住し、晩年を送ったそうです。

写真:蓉子と芳雄披露宴の写真(鉄道ホテル)、右上側に新郎・新婦。

以上、2回にわたって私自身と台湾とのつながりについて紹介させていただきました。祖母の芸術センスは私には遺伝しておりませんが、ひいお爺さんの教育への情熱、祖父の法医学者としての歩みは、私が基礎研究者として医学教育に携わっていることにつながっているように感じています。

写真: Taiwan Bio-Manufacturing Corporation(TBMC)を訪問。TBMCは、台湾政府主導で設立された次世代型の研究・開発・製造までを一体化して支援する企業です。

新緑の季節も過ぎ、いよいよ夏へ向かっているように感じます。今週も頑張っていきましょう!

写真:校舎に咲いておりましたタンポポです(本文とは全く関係ありません)

P.S.「香川大学医学部50周年特定基金」と新しい「ふるさと納税」制度のお知らせ
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