私の研究:①「Osmo-adaptation」JAXAとのコラボ紹介(その2)

私自身は現在、① JAXAとのコラボ、② チーム・ドルフィン、③ 治療ワクチンの開発、の3つの研究プロジェクトを進めていますが、今週は「① JAXAとのコラボ」について紹介しています。今日は、この研究に行きついた理由を思い返してみたいと思います。

私は香大医・学生時代にウインドサーフィン部で海外遠征が多かったこともあり、一度は海外に留学して世界を見てみたいという気持ちが強く、医師になって麻酔科研修後、留学に向けた基礎研究力をつけるために大学院(香大医・薬理学)に入りました。臨床しながらの研究でしたが、大学院2年生の時に参加した米国の学会において、腎臓生理学では当時超有名だったNavar教授(通称:Gabby, ニューオリンズのTulane大学)に自分を売り込んで、大学院の途中から留学が決まりました(留学での苦労話などは、また後日にゆっくりしたいと思います)。

写真:左は私が香大医生3年の時のイタリアへの遠征での日本チームと地元の子供達とのワンショット、右は私が香大医大学院生2年の時に初めて米国の学会で発表している様子

 

留学後しばらくして、偶然、NASAが博士号(PhD)を持つ医師を募集しているチラシを見ました。まだ、インターネットのない時代、まぁ冗談で応募してみようと適当に書類を取り寄せて応募したところ、何と一次審査を通過してしまいました。同僚に聞いたところ、何でも米国人医学生はみんな自分で学生ローンを組むので、卒後はすぐに臨床して借金を返さねばならず、博士号を取るために大学院で研究する人は非常ほとんどいないから通るかもよ?、とのことでした。

俄然やる気の出た私は、希望に胸を膨らませてヒューストンの宇宙センターに面接(2次審査)に向かいましたが、何と、、、、面接会場の敷地内に入れてもらえませんでした。それは私が永住権(グリーンカード)を持っていなかったからでした。相当粘って担当者も呼んで貰って交渉しましたが、応募要項をよく呼んでみると、確かに「応募には永住権が必要」とちょこっとだけ記載されており、、、結局、失意のままニューオリンズに戻ることになりました。今なら「アホちゃうか」で終わる話なのですが、ネットのない時代に膨大な書類を端から端までちゃんと読めるほどの余裕はなく、、、でも、まぁ恥ずかしい話ですよね。

私の宇宙研究に対する夢は一旦ここで終わりなのですが、香大医に戻って15年ほど経ったある日、忘れていた宇宙に対する思いに再び火がつくことになりました。長くなってしまいましたので、これにつきましては、また明日、お話しさせていただきます。